・・・・回答前に質問自体が終了してしまったのでここに残しています・・・・


日本人と、英語の、独特な距離感というものが昔からあって、
それは今でも根強く残っている部分があると思います。

もし、ラジカセの操作ボタンが2種類から選べて、
「PLAY/STOP/FF/RF/REC/EJECT/TUNING」という表記と
「再生/停止/早送り/巻き戻し/録音/取り出し/選局」という表記があるとすれば、どちらが良い印象があるでしょうか。
また、もしそれがCDプレイヤーであったなら、どうでしょうか。
操作ボタンには文字以外にも色分けや絵記号の彫り込みなどで差別化がされているものがほとんどで、大抵は新しい機種でも感覚的に操作できるのが普通です。そのような場合には、「意味が高齢者・子供でもはっきりする表示をすること」以上に、「デザイン的に高い質感のもの」であることのほうが重要視されるのもよくある話だと思います。
それに加えて日本の日常における英語との関わりって多分にムード優先じゃないですか。アパートやマンションの名前に意味を求めるでしょうか。世の中の商品名にはかなり怪しい横文字が多くはないでしょうか。

ただし、日本語より英語のほうがなんでもカッコいいのかと言えば、それは違いますし、短くて深い豊かな日本語や、存在として美しくない和製英語が世の中にはあふれていたりもします。

コンピュータの歴史においては、文字コードや解像度の問題から、日本語表記が長らくネックになっていたという事情もあります。分かりやすい文字を表示するのに、アルファベットというのは圧倒的に少ないドット数で事足りるのに比べて日本語はあまりにもハンデが多すぎるのです。

「つづきをよむにはボタンをおしてください」
「さいしょからはじめる/つづきからはじめる」
「ソルバルウはあと 2き のこっています」
「すべて かんりょうしました。おめでとうございます」

こういうような表示が求められていたとは僕は思えません。(・・理解され難いかもしれませんが、シューティングやアクションなどのジャンル初期においては、ストーリーすらも曖昧であって良しとされていたのでした・・)

そして同時に、日本語の妙味、妙技ともいうべき、すばらしい仕事の多くがファミコンのひらがな・カタカナ表記でなされていたことを忘れることはできません。
この「美意識の住み分け」が、日本の言語事情の特殊な部分なのだと思っています。
( 2015.3.28 )